北洋病院に飛ばされてから1ヶ月が経った。
最初は問題多数だった医局のみんなも少しずつ打ち解けてきたみたいです。
まだ少し課題は残ってるけど…。
そこでふと疑問に思ったのが、僕の中では未だにイレギュラーな存在である先生のこと。
普段接している分には特に問題は無い。
むしろとても友好的というか、優しいし、手術だって真面目に参加する。
仕事もしっかりこなしている頼れる先輩だ。
だからこそ理解できない。
なぜ この人は北洋にいるのか。
朝田先生をはじめとする僕らと、外山先生や小高先生と同じく
彼女も明真から”エントラッセン”された医者なのだ。
所謂、問題有りの医者ということ。
先生を見ていると、全く想像できない。
彼女は一体何をしたというのだろう。

「どうなんでしょうか、藤吉先生」
現在時刻は午後12時30分。
医局には僕と藤吉先生の二人しかいなかった。
きっと今頃みんなは昼食を取っている頃だろう。
(蛇足だが野村先生は相変わらずマイナイフ・アンドフォーク持参である)
特に重大な仕事もなく、珍しく穏やかな昼下がり。
そこで僕は、最近気になっているこの疑問の答えを目の前の人物に求めた。
「…あくまで噂だが」
コーヒーを啜る手を止めて、藤吉先生は言った。
どうも信憑性に欠ける、というのが前提の切り出し方。
それでも謎に包まれた先生についての数少ない情報は僕の好奇心を駆り立てた。
「明真のお偉いさん…まぁ、とある教授がな」

原因は不明だが彼女の逆鱗に触れて…暴力沙汰になったらしい。
その教授が復讐に野口にあることないこと吹き込んで飛ばさせたとか。

「えぇ!?」
「あぁ…信じられないだろう?」
外山先生との口喧嘩は日常的に見られる光景だが
それを除いては至って温厚な彼女が暴力事件を起こすなんて考えられない。
「そんな…きっとデマですよ」
「…そう思いたいが」

「あぁ、それなら事実ですよ」

聞き慣れたソプラノが響いた。
後ろを向けば、なんて古典的なパターンなんだろう、本人が立っていた。
先生…!?いつからいたんですか!?」
お決まりの質問をすることしかできない僕も十分に古典的だけど。
「ん、藤吉先生が私の噂話を始めた頃かな」
「おい、アレ本当なのか」
まさか、という視線を浴びせる藤吉先生と信じたくない僕と
二人に挟まれた先生の出した答えは。

「いやいや、本当ですって」

セクハラ紛いの事してきた教授がいましてね、腹立ったから
ちょっと蹴り入れちゃっただけですよ。

ふんわりと陽だまりのような暖かくて柔らかい、いつもの先生の笑顔だった。
「逆恨みもいいところですよね」
「おいおい…」
「はは…、でもちょっと蹴ったくらいでエントラッセンなんて」

「あー、アレは見事な回し蹴りだったな」

一斉に振り向いた僕ら3人の視線を一挙に集めた人物は
「外山…」
「な、サン?」
血管外科医・外山誠二だった。
相変わらず黒いYシャツにネクタイ、だらしなく羽織った白衣が妙に似合っている。
挑発的に首をかしげて先生を見つめている外山先生だが
このままいけば、また喧嘩になりそうで怖い。
「と、外山先生…回し蹴りって」
「おー…オレ見えない蹴りなんて初めて見たわ」
藤吉先生なんて吃驚しすぎて、もはや閉口している。
張本人である彼女は「大袈裟だな!」なんて可愛らしく拗ねたような顔をしているけど

(み、見えない回し蹴り…)

絶対に先生は怒らせないようにしようと誓ったある日の午後。

「可愛らしく悲鳴でもあげときゃ良かったのによー」
「あーもう…何よりも早く足が出ちゃったの」
「おー怖っ」

08.4/7  目撃者は意外と近くにいました。