キーボードを不規則に叩く私の指を凝視する視線に多少の違和感を覚えつつ
なんとかそれを振り切って仕事に一区切りをつけ思い切って彼のいる大きなデスクへと向き合う。
が、存外にもヨコヤさんの姿は見当たらなかった。
いつの間に席を立ったのかさっぱり分からない。
首を傾げ、手を口元にもってくる。思案するときの私の癖だ。

さん」
「うわぁ!?」

驚きに声をあげた私は後ろへ振り向く。

「び、びっくりした…」
「間抜けな悲鳴でしたよ」
「…すいませんね」

生憎私が“きゃあ!”なんて可愛らしい悲鳴をあげるような性格の持ち主ではない事くらい
ヨコヤさんだって重々承知の筈なのに。

「なんですか、いきなり」
「少し出掛けてきます。先に帰っていて下さい」
「はぁ…」

冷たく大きな手から渡されたのはマンションの鍵だった。
このやり取りだけを見れば仲の良い同棲カップルに見えなくもない。
しかし現実は意外に厳しいのですよ。
そんなことを考えながら部屋を出ていくヨコヤさんの後ろ姿を見送った。


「…コレは…」
「見れば分かるでしょう」

帰ってくるや否や自室で大学の課題を片付けていた私を引っ張ってベッドの上へ。
状況がいまいち飲み込めないまま強制的にお互い向かい合うように座らされた。
一体何をされるのかと少し警戒態勢をとる。

「別に取って喰う訳ではありませんよ」

にこりと微笑むヨコヤさんは、失礼だがとても胡散臭い。
むしろ何度も取って喰っといて、何を言い出すんだ!と静かに憤慨する私を後目に
彼が小さな紙袋から取り出したものがそれである。
小さな小瓶自体にも細やかなデザインが施されたマニキュア。
中に入っているのは、こっくりとした上品な深紅。
きっと高かったんだろうな。

「用事って、これ買うことだったんですか…?」
「そうですよ」

そう言うと嬉々として私の手を取って爪を彩り始めた。
爪の上を滑っていく冷たい感触が心地よい。

ひとつ、ふたつ、みっつ

親指から人差し指、一本一本色づいていく自分の指先を眺める。
ヨコヤさん、今日は機嫌が良いみたいだ。

「…上手いですね」
「そうですか?」

もう直ぐ右手の小指が塗り終わる。斑も無く、均等に着色された爪。
彼は無言で私の左手を誘う。またひとつ、紅が増えていく。
全て塗り潰された10本のネイルを見てヨコヤさんは満足そうに笑った。

「貴女の手、私は好きですよ」
「よくそんなさらっと言えますね…恥ずかしい…」

私の手は未だにヨコヤさんの手の内にある。よくよく考えたら手を握ったことがあまりなかった事に気付く。
そう思うと妙に気恥ずかしくなってきてしまって目が合わせられなくなってしまった。
(わぁぁ!もうなんでずっと手握ってんの、ヨコヤさん!!)

「もう乾きましたかね」
「え!あ、はい!」
「…なに狼狽えてるんですか?」
「いや、狼狽えてなんかないですよ」

「…」
「な、なんですか、」

まじまじと私の手を見つめるヨコヤさんを見るとどうしようもなく不安になる。
一体何をされるんだろうか、この人の言動はさっぱり予測できない。

ぺろり

(ひっ、なにすんですか…!)(いえ、美味しそうだと思いまして…顔が赤いですよ)