「失礼しますー…」
ぎぃ、と音を立てて開いた扉の向こうには例の如くさんが立っていた。
いつもと違うのは、白いマスクが顔を覆っていたことで。
「…おや、風邪ですか?」
「んー…二、三日前位から…」
だるそうに返事を返しながらも、デスクの正面に構えるソファへ。
躯は、ぐったりと力無くスプリングに沈んでいる。
閉じられた目蓋に長い睫毛が震えて、眉は苦しげに寄せられている。
不謹慎だとは思いつつ、そんな様子がどことなく官能的だと感じた。
マスクで顔半分が隠されている為か、彼女の目元の美しさが一層引き立っているような気がして。
「どうして休まなかったんです」
目の前のさんから視線を外し、卓上の液晶画面を見つめる。
指先だけは絶え間なくキーボードを叩き小さな音を立てた。
「学校好きだし…友達にも会いたいし…」
「…嘘でも私に会いたかったと言って欲しかった所ですねぇ」
「こんな時にそんな冗談言うな、ばか…」
半分は本気で言ったんですけどねぇ。
取り敢えずは熱を測って下さい。とソファの前にある机上の一瞥すると
さんはその細い指先で体温計を摘んだ。
私は彼女の手が好きだった。少し薄い掌や、そこからスッと伸びた長い指。
末端にある形の良い桜貝のような爪も、全部。
「…ちょっと、そんなに見ないでよ。恥ずかしい」
「おや、すいません」
私が笑うと、彼女はふて腐れたように再びソファに沈み込んだ。
「熱、38℃だって」
衣服の中から取りだした体温計を見つめて、さんは溜息を吐いた。
「…帰った方が良いと思いますが」
「一人で帰るのしんどい…ケルベロス送ってよ…」
「貴女よくこの時間まで頑張れましたね」
時計を見れば午後二時四十分。あと三十分経てば五限目の授業が終わる。
つまり彼女は午前中の授業には全て出席して、普段通りに生活していたのだ。
それだけ出来れば一人で帰るのも容易い事じゃないんですか?という言葉が発せられる一歩手前で
さんが一人暮らしをしていた事を思い出した。
(あぁ…そういう事でしたか…)
学校を欠席した所で、一人寂しく眠るしかないし、辛くても誰も傍に居てくれない。
それなら少し無理をしてでも登校しようと、彼女はそう考えた訳だ。
「仕事、まだ終わらないので、少し待って貰いますよ」
私の小さな皮肉に恨めしそうな視線を投げ続けていたさんは、満足そうに目を細めて笑った。
その後、少しの沈黙が続いて、部屋に響くのはタイプの音と規則正しい寝息だけになった。
「起きて下さい」「んー…っ!?ち、近いよ!!」
「貴女の寝顔が可愛らしかったので、つい」
悪びれた様子もなく(反省していないのですから当然です)返事をすると
人の寝顔覗くなんて最悪だよ!とさんは私の肩を叩いた。予想以上に力が強くて驚いたのは秘密にしておきましょう。
「…其の悪趣味な所除いたらケルベロスは完璧だと思うよ。」
眠っている間に少し乱れてしまった制服を直す。
その仕草すら色っぽいと思えてしまう自分は、なるほど末期だなぁなどと考えていたら
痛いほど的確なタイミングでの一言。
「誉めてるんですか?貶してるんですか?」
「んー…、7割くらいの割合で誉めてる」
「3割が気になりますねぇ…ふふ」
「…その残り3割も含めて好きだよ」
「…!」
「はは、熱で頭おかしくなってんだな、私」
教室に鞄取りに行ってくる、と足早に保健室を出たさんの後ろ姿を見送った直後
閉まった扉の向こうから僅かに聞こえた廊下を駆ける足音に私は一人で小さく笑った。
(病人なんですから安静にしていただかないと…)(しかし耳まで真っ赤でしたねぇ)
クレゾールの魔法
(風邪引きの女性は美しい!)