どうしてこんな事になってしまったのだろう。
私は小さく頭を抱えながら考えた。何故か幼い時に聴いた市場に売られていく
可哀相な仔牛の歌が思い出されてちょっと悲しい気持ちになった。

「あれー?どうしたのちゃん。気分でも悪いの?」
「いえ…お構いなく…」
「そっか!」

早朝、小さな軽トラックに揺られながら私はイヴァンさんのお店へ向かっているのでした。

「ちょっとお兄さん仕事でしばらく留守にするよ」

お土産買ってくるね!
そう言ってフランシスさんは颯爽とkingを去っていきました。
大きなショーがあるらしく、泊りがけで準備をしないといけないそうなのです。
さすがは売れっ子スタイリスト、と言ったところだ。
いってらっしゃい、と私、菊さん、イヴァンさんの三人で彼を見送り
各々部屋に戻ろうかとドアに背を向けた直後、菊さん弱弱しい声が聞こえた。

「あの…実は大きなイベントがありまして…」

私も数日留守にさせて頂きます。

奥さんに逃げられた旦那の気持ちがちょっと分かったような気がした。
そんな感じで私は出会って直ぐのイヴァンさんと二人っきりで三日間ほどお留守番をする事になったのです。
生憎学校は夏休み、バイトもスケジュールがガラ空きという半ニート生活を送っていた私は
何をするでもなく怠惰な生活を送っている毎日でした。
正直、とても、気まずい・・・!!
そう思っていた私にイヴァンさんは「二人だけになっちゃったね!」と
天使のような無邪気な笑顔で言いました。その一言で現実が一層重く私に圧し掛かるようでした。
イヴァンさんは見たところ、あまり自分から話題を切り出したりするタイプではなく
どちらかと言えば騒いでいる人たちを見て一緒に楽しむ類の人のようだったので
ぶっちゃけ二人きりになると、どう接したらいいのか全く分からない。
私にもっと対人スキルがあったら…!ここにきて初めて、今置かれてる状況の奇妙さに
私は気付いたのでした。つい最近まで顔も知らなかった男の人3人と一つ屋根の下で暮らしているということ。
それなのに、全く危機感も持たずに安穏と暮らしている自分。
ふと、不動産屋さんのおじ様の言ったことが脳裏を過ぎった。

(スカウト、かぁ…)

取り合えず夕飯の支度を済ませ、一息つきながらソファに体を沈めてテレビを見ていると
がちゃりとドアの開く音がした。ふと振り向けば自室から出てきたイヴァンさんが
相変わらず柔和な笑顔を湛えながらすとん、と私の隣に腰を下ろしました。
緊張で身を硬くする私に向かって、にっこりと微笑みながらこう言ったのです。

ちゃん、明日、僕のお店のお手伝い頼んでもいいかなぁ?」

そして私はこうして彼と共に花屋へ向かっているのでした。
別にお手伝いが嫌という訳ではないのだけれど、未だにイヴァンさんへの接し方を
考えあぐねている私には少々荷が重いというか、なんというか。
気付けば既にお店の目の前で車は止まっていました。
そこは小さく素朴なお店で、なんだかとてもイヴァンさんらしいお店だと思った。
飾ってある小物や小さな鉢植えが可愛らしい。中に入ると綺麗なウィンドウの中で
たくさんの花が色とりどりに自分の存在を主張していた。
カウンターの裏側にはたくさんの包装紙やリボンがある。
先程の不安は何処へやら。私が思わず「わぁ」と感嘆詞を洩らすと
イヴァンさんは嬉しそうに声を出して笑った。

「すごい…可愛いお店ですね!」
「ふふ、ありがとう。僕もこの店が好きなんだぁ」
「ほんと、とても素敵なお店…」
「なんか照れるね」
「あはは」

ちょっと、和やかで良い雰囲気かもしれない。
仕事の内容を教えてもらって、花に水をやり、古い水を替える。
水や花の入った容器を移動させるのは結構な重労働で大変だったけれど
子供たちから人気な職業だけある。殺風景な事務所で仕事するよりも
花々に囲まれて仕事するってやっぱり素敵だと思う。
一日過ごしてみて分かったけど、花には色んな表情がある。
イヴァンさんに話してみたら「ロマンチストだね」なんて言われたけれど
イヴァンさんだって花を見てるときの目はきらきらしてるの、自覚してないのかな。
今日はどうやら従業員たちは全員予定があってバイトに入れなかったのだそうだ。
そこで私が借り出されたという訳。一緒に仕事をしてみて、わかったことがある。
同じ家に住んでるとはいえ、区切られた部屋の中にいる時間の方が
何だかんだで多いのだ。見えない部分だってあるし、見せたくない部分だってある。
どうやら、イヴァンさんはとても寂しがり屋さんらしい。
閉店の時間が来て、お店の中にある小さな部屋で私たちは少し休憩した。
そこはロッカーとイヴァンさんのデスクがあるだけの部屋だった。

「…僕ね、kingに来て本当に良かったって思ってるんだ」
「…え?」
「賑やかなの、好きだから。みんな良い人だし、あったかくて良いよね」
「そう、ですか?」
「うん。…嬉しそうだね」
「えへへ」

もちろん、嬉しいに決まってる。私が大好きなこの温もりを同じく好いてくれる人がいる。
それが新しい仲間なのだから、これ以上嬉しいことはないのだ。
私たちはお互い笑い合いながら閉店作業を続けた。帰り際、私はイヴァンさんのデスクの上にぽつりと置かれた
写真立ての存在に気がついた。その写真には子供の頃のイヴァンさんだと思われる男の子の両隣に
彼によく似た優しそうな瞳をしているショートヘアの女の子と、気の強そうな雰囲気のロングヘアの綺麗な
女の子が写っていた。その女の子は無愛想な表情をしているけれど、彼女の腕はぎゅっと
イヴァンさんの腕を掴んでいた。イヴァンさんは幸せそうに笑っていた。
なんとなく、今はその写真には触れないほうが良い様な気がして黙っていたけれど。

帰りの車の中は朝の空気と違って穏やかに感じた。イヴァンさんが花屋をしている理由だとか
色々お話しながら帰った。彼は寒い国の出身で、花に囲まれて生活するのが夢だったのだそうだ。懐かしむように彼は喋った。

「ねぇ、ちゃんの夢ってなぁに?」
「私の夢、ですか…」
「…?」

胸のあたりに何かがつっかえて、何も言えなくなってしまった私をイヴァンさんは不思議そうに見ていた。