茹だるような暑さと肌を射す眩しい光。あぁ夏が来てしまった。日本の夏は暑い。
フランシスさんは未だ慣れないこの気候にエアコンの温度をガンガン下げようとリモコンを狙っているけれど菊さんの見事な防御にことごとく阻止されていた。
“みんなでDVDでも観ましょう!”と言って菊さんが用意したのは日本が世界に誇るアニメーション映画…さすがは漫画家というべきか。
作品自体私も知っているような有名なものだったので個人的にはまったく問題なかったのだけれど、フランシスさんはどうだろう?
見た目からしてこの三人の中じゃ一番年上っぽいし、アニメよりも恋愛系の映画とかの方が好きそうだし。
私は少し不安げにちらりとフランシスさんを見た。
「いいじゃない!アニメ!!」
ノリが良いにも程があります。菊さんも「フランシスさんなら大丈夫だと思ってました!」とか言って
目を輝かせていた。後で知ったけれどフランスでは日本のアニメーションや漫画が人気らしい。
二人とも性格は正反対だけれど、案外馬が合うみたいで何やら色々語り合っていた。
あの作品がいいとかあのキャラがいいとか何とか。私にはよく分からない。そうして映画鑑賞会が始まった訳だが
「菊…28℃なんて冷房じゃないだろ?せめて27…いや26℃にして!」
「駄目です。1℃だって電気代に換算すれば意外と高いんですよ」
「じゃあお兄さんその分仕事頑張るから…!」
「エコです、フランシスさん」
「…諦めましょう、ね?」
「ちゃん…」
正直このリモコン攻防戦が暑苦しくて敵わないのですよフランシスさん。
何時も肩に揺れる柔らかそうな髪は一つに括られていた。
出来れば髭も剃って欲しいところだが「これはお兄さんのアイデンティティなの!」と断られてしまった。
意味が分からない。菊さんも流石に和服は暑いらしく、普通に洋服を着ていた。
普段は分からない線の細さが強調されてなんだか新鮮に感じる。(オッサンか、私は)
そう言う私もキャミワンピ一枚と薄着だけれど。
「うんうん、やっぱ女の子が家にいるって良いよね。こういうの見ると夏も悪くないと思う」
「う、わ、ちょっと暑苦しいですってば」
ささっと菊さんの方へ避難するとフランシスさんはショックを受けたようで部屋の隅で体育座りし始めた。ちょっとうざい。
その時、ローテーブルに置いてあった携帯電話が振動音を放って小さく動き出した。
ディスプレイには「トーリス」の文字。珍しい、と心中驚いた。フェリクスは頻繁にメールをくれるけれど。
お久しぶりです。突然ですみませんが今日、お時間空いてますか?
「…なにかあったのかな」
「おや、どうしたんですか?」
「いえ、後輩からメールが…」
「あ、引越し手伝って下さった方ですか?」
たまにこの人心が読めるんじゃないかと思う。私が黙っていると肯定と見てとったのか「仲が良いんですね」と綺麗に微笑んだ。
とは言えトーリスがこういうメールを寄越すときは大概悩み事があるときだと長い付き合いの内に私は学んだので、早々に返信して身支度を整え家を出た。
「あ!ちゃん!今日の夕飯はお兄さんが作るから早く帰ってきてねー!」
「はーい」
まるで家族のような会話も、もう慣れてきた。まだまだ一緒に生活し始めて日は浅いけれど、この温もりはとても居心地が良い。ずっと包まれていたくなる。
新しい住人さん、一体どんな人が来るんだろう?九つある部屋は残りあと六つだ。
新しく来る人も、こうして私と同じような気持ちになってくれたら、嬉しいな。
「あ、ごめんなさい。いきなりあんなメールして…」
「ううん、いいの。それより何か悩みがあるんでしょう?」
「せんぱい…!」
目に涙を溜めて感動したように私の手をぎゅっと握る。なんつーか、まぁ…親友がアレだから悩み事の相談なんて出来ないんだろうなぁ…。
不憫な子、と少しだけ同情する。私たちは適当なファミレスを見つけて適当に注文を済ませた。
フランシスさんの御飯の為にドリンクバーだけにしておく。はぁ、と小さく溜め息を吐いてからトーリスは語り出した。
バイト先の話だった。今、花屋でバイトをしているらしい。正直、女の子みたいに可愛いトーリスが花屋とは似合いすぎて笑ってしまう。
「あっ!笑わないで下さいよ!」
「んー?ごめんごめん。で、続き」
「…店長が目茶苦茶怖いんです…」
その花屋は小さな店で、トーリスの他に二人の店員がいるだけらしい。
人使いが荒いだとか腹黒いだとか色々聞いたけど正直よくある話というか、そんな青ざめながら話すような事でも無いような気もする。
それでもトーリスは懸命に話すから先輩としては気を抜いて聞く訳にもいかず、あーでもないこーでもないと
差し障りの無いアドバイスを交えつつ相槌を打った。そうしているうちに陽は傾き始めてそろそろお腹も減ってくる。
あんまり長居すると店にも悪いしね。まぁ、今更過ぎる心配だけれど。
「…あ、ねぇトーリス。家に御飯食べにおいでよ。今日は美味しいフランス料理だよ」
「え?いや、でも悪いですよ…第一、後輩とはいえ男連れ込んでいいんですか!?」
「生真面目だなぁ…大丈夫大丈夫、そんなの全然気にしない人達だから」
正直いつだったかフランシスさんが女の子連れ込もうとして菊さんの逆鱗に触れた事があったけど
トーリスは健全なお客様だから、きっと大丈夫。戸惑い気味の後輩を説得して、私たちは家路に急いだ。
二人には連絡しておいたから準備は万全だ。蝉の鳴き声がアスファルトに染み込むように響き渡る。
時刻はもうすぐ19時を回る。Kingのドアを開けると美味しそうな香りが私たちを包んだ。急にお腹が減ってきた気がする。
隣にいるトーリスも同じだったようで、お互い目を合わせて笑った。
「フランシスさーん!菊さーん!ただいま!お客さん連れてきま…」
「あ、こんばんは!初めまして」
「は、じめまし、て…」
食卓には見慣れた黒髪と、金髪。もう一人見慣れない男の人が座っていた。
フランシスさんとは違う、透けるようなシルバーブロンドの髪。二人よりも大柄で、柔和な表情をしたひとだった。
彼の前にも食事が用意されている様子を見ると、たぶん新しい住人さんみたいだ。
予想外の展開に、私はたどたどしい挨拶を返す事しかできない。
少しだけ狼狽する私の様子を見て菊さんとフランシスさんは可笑しそうに笑っている。
ちょっと酷いと思ったけれどなんとなく私まで釣られて笑ってしまうのだ。やっぱり家族みたいだと思う。
ほのぼのとした雰囲気が脅えたように震えた後輩の声で崩れ去るだなんて全く予想だにしなかった。
「イヴァンさん…!?ど、どうしてここに…!?」
「あれー?トーリス、君こそどうして?」
暖かな食卓が、謎の冷気に包まれた瞬間だった。