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フランシスさんの思わぬ活躍っぷりに度肝を抜かされ(大学の友達に聞いたら普通に知ってた)もしかしたら私は凄い人と暮らしてるのではないかと意味の分からない重圧的なものを感じたのも束の間、生活してみると単なるセクハラ兄さんであることが判明し、今では軽く右ストレートをかます程の仲になった。ただ驚いたことに彼は案外打たれ強い…むしろ殴られても嬉々としている節があるので、もしかしたら只の変態なんじゃないかとも思う。だが時折見せる真面目な表情(これは主に料理しているときに見られる)や紳士的な態度に少々見惚れてしまうのも事実で、同居人としては少々複雑な気分だ。今日は帰りが遅くなるという彼からのメールが届いたのはバイト先のカフェで帰り支度をしている時だった。隣には同い年の同僚のティノくんと一つ年上の先輩ベールヴァルドさん(通称スーさん)がいた。 「どうしたんですか?」 「あっ、いや!何でもないよ!」「…?」 問題なのはそのメールがカメラに向かってウィンクしてるフランシスさんの写メ付だったという事で。あの人どんだけ自分好きなんだよとか思うところは色々あった。ちなみに「夕飯は家で食べますか?もし食べるなら作っておきます」と返信をしたところ「なんかこの遣り取り新婚さんみたいで良いね(*´∇`*)ちゃんの手料理だったらお兄さん喜んで食べちゃうよ!」というメールが返ってきた。盛大に溜息を吐くとスーさんが私の肩を叩いた。身長の高い彼と話しをするとき、私は無条件で首を上に向けないといけない。 スーさんは必要以上の言葉を話すことはない。おまけに無表情・無愛想ときたものだから初対面の人は大体彼の事を「怖い人」だと言う。かく謂う私も最初はその一人だったのだ。スウェーデン出身なのに福島弁、しかも中通り弁で話しているあたり既に不思議さんなのだけれど、何を考えているのか分からないその表情の裏で誰よりも細かいところまで配慮しているのだと言う事が同じ職場で働く内に分かってきた。この人は何を言おうとしているのだろう。瞳は少し悲しそうに見えた。真一文字に結ばれた薄い唇は何か言いづらそうに少し開いて、また閉じる。 バイトを辞めるかもしれない。そう彼らに伝えたのはつい先日の事だった。自宅から大学までの通学路に建っているこの小さなカフェも、これからは通いづらくなるだろう。ひとまず店長に伝える前に取り分け仲の良いこの二人に打ち明けてみたのだ。閉店の準備を進める薄暗い店内の中でオレンジ色の照明が私達の頬を照らしていた。ティノくんは驚いていたけれど、スーさんは小さく「そか」と呟いただけだった。それから彼は黙々とテーブルを拭く作業を続け、色々言いたげな顔をしていたティノくんも口をつぐんだ。以後その話を降ってくる事も無かったので私もそれ以上は何も言わなかった。 「…!」「スーさん…!」 「辞めても…この店さ遊びにこ」 スーさんが少し微笑んだように見えた。お礼を言うと彼は直ぐに照れたように視線をはずしてしまった。私はその様子が可愛らしく思えて小さく声をあげて笑った。そしてスーさんに触発されたのかティノくんも物凄い勢いでこちらを向き、ぎゅっと私の手を握り締めて言った。 「うん…!(最後までこの子のネーミングセンスには突っ込めなかったなぁ)」 二人の仕事はこれから始まるということで、私は入れ替わるようにして店を出た。看板犬の花たまごが尻尾を振って飛びついてくる。この子との別れも、とても寂しいものだ。真っ白でふわふわした毛並みを撫でる機会が減ってしまうのかと思うと、もう少しここにいたい。なんて思ってしまう。しかしあんな素敵なお別れの挨拶を貰ってしまっては後には引けない。次のバイトで店長に辞表を出そうと思う。さて夕飯の準備をしてから帰らねば。私はフランシスさんと違ってあんなに手の込んだ料理は作れない。彼は私の作った料理を美味しいと言って食べてくれるけど、やはり女としては複雑だ。特に洋食はなんとなく気が引ける。今日は和食にしよう。なんだか煮物が食べたくなってきた。ふと視線を上げると小さな桜の木が目に入った。細い枝の先に小さな薄紅色の蕾を見つけて少し嬉しくなった。もうすぐ春が来る。 白い大理石の玄関に似つかわしくない木製の草履が行儀良く揃えてぽつんと置いてあった。柔らかい色合いの木目と藍色の鼻緒。きっと新しい住人さんだと思うけれど、どんな人なのか全く予想が付かない。草履からして男の人だと言う事は分かった。そして台所の方からとても美味しそうな匂いがする。だしの香りがするから、きっと和食だ。奥からばたんと扉の閉まる音がしたかと思うと、ぱたぱたと忙しない足音が聞こえてきた。音が軽い。小柄な人なのだろうか。 「た、ただいま、です」 上品に一礼してからそう言って笑ったのは、割烹着姿のお兄さんでした。少し開いた襟口からは濃い灰色の着物が覗いている。真っ黒な彼の髪によく似合っていた。何故か彼の周りだけ時間が止まっているような悠々とした空気を纏っている。不思議な人だ。 「…!いえ、私がぼーっとしていただけですから、」 「ふふ、お茶でも淹れましょうか」 彼はにこり、と擬音が付きそうな程に洗練された笑い方をした。音もなくスッと足を進めて廊下を歩く。私も後をついて歩くが、この人のような歩き方はきっと出来ないだろうなぁ。リビングに着くと玄関に居たときよりもはっきりと香る美味しそうな匂い。時計を見るとまだ六時だったが一気にお腹が減った。ぐらぐらと煮え立つ鍋から白い蒸気が昇って消える。台所では彼が手際よく日本茶を淹れているところだった。所作のひとつひとつが美しい。何か特別な事をしている訳でもないのに不思議と惹かれるものがあるのだ。 ことりとテーブルに置かれた湯飲みは見たことのないものだったので、たぶん彼の私物だろう。焼き物にはあまり詳しくないけれど、きっと高価なものだろうという感想を持った。一口飲んだお茶はとても熱かったけれど、とても美味しかった。美味しいですと言うと、それはよかったと言って彼はもう一度あの笑い方をしました。男の人にしては華奢な手が湯飲みを置く。 「です。こちらこそ宜しくお願いします」 「…同居しているのに何か余所余所しい感じがしますね、私たち」 本田さんは今度は袖口で口元を隠してくすくすと笑った。私が反射的によく分からない謝罪をすると彼は、私もこの口調が癖でなかなか人と打ち解けられないんですよ、と言って一口お茶を啜った。 「え!?私、本田さんの事全然気付かなかった…!」 「えぇ、ずっと引きこもってましたから。締め切りが近づくといつもこうなんです」 「さ、作家さんか何かですか…?」 そして私は本田さんの口から出た意外すぎる一言に絶句する事になる。当の本人はそろそろ夕飯にしましょうか、と優雅に台所へと向かった。あぁそういえばさっき彼の手にペンだこみたいなものを見付けた気がするなぁ!暫くの間呆然としていたが、はっと我に返り私も彼の隣へと走った。 |