「はー…疲れた」

ぐっと伸びをすると躯の節々からゴキゴキと鈍い音がした。朝からの整頓作業は夕方五時を回る頃に一段落した。あまり遅くまで彼らを拘束するのは気が引けるし何より気紛れ屋のフェリクスの集中力が切れた事によってトーリスの胃腸が限界を迎えそうだった為に家に帰した。力仕事は大体済んだし(ベッドや本棚の搬入は二人に任せた)あとの細々とした衣服や本の整理は私の仕事だ。労いの言葉とちょっとした御駄賃をやって彼らを笑顔で見送った。

「今日はすいませんでした、大した手伝いも出来ずに…!」

トーリスは最後の最後まで頭を下げてばかりだった。柔らかな茶色の髪を一つに結って、姉さんかぶりまでしてくれた彼の奮闘っぷりには私こそ頭を下げたいくらいなのに。この子はもうちょっと要領良く生きることを覚えた方がいいんじゃないだろうかと少々心配になった。或る意味フェリクスを見習った方がいいのかもしれない。

「今度はゆっくり遊びに来なよ。歓迎するからさ」
「ありがとうございます」「絶対また来っから!」

賑やかな時間は終わり私はこの広い“king”の中ひとりになった。周囲を見れば見るほど落ち着かない。踏みしめる床は傷一つ無い真っ白なタイルで、革張りの大きな黒いソファが構えるリビングは家というよりもホテルのロビーを彷彿させる。早々に部屋に引き上げて作業に戻ろう。夕飯は近くのコンビニで済ませてしまえば楽だ。春休みだから学校も無いし明日はバイトも休みだ。徹夜の作業をしても何の支障も無い。

「ついでにバイト先も変えちゃおっかなー…もっと近い所に…ん?」

床と同じく真っ白なドアを開けて部屋に戻ると、玄関からガチャンという音が聞こえた。あれ、私鍵閉めたよね?フェリかトーリスが忘れ物取りに来たとか?様々な予想が頭を過ぎった。その中には物騒なものも多々あったけれど、私は勇気を出してリビングに戻った。

「…ん?女の子?」
「え、あの、あっ、あ!もしかして」
「うんうん、お兄さんもここ住んでるの。びっくりしたでしょー」


全部で九室ありますが、貴女が使えるのは内一室だけ。
つまり…ルームシェアです


そう、これがこの物件が格安で手に入った理由の一つなのだ。目の前にいるお兄さんは言ってしまえば先住民(…あれ何か違うか?)。肩のあたりで揺れる髪は緩いウェーブがかかった柔らかそうな金髪で、瞳は澄んだ青色をしていた。年齢は私よりも上だろう。肌の色は白く、無精髭が妙に似合っている。が

「買い物帰りですか…」「んー、まぁ仕事帰りって方が正しいかも?」

一見モデルかと思うほどの外見と不相応なのは両手にぶら下がる大きなエコバッグ(地球に優しいなこの人!)で、そこからは収まりきらない葱が飛び出していたし、中には土の付いた野菜もあった。あまりにシュールな光景にこみ上げる笑いを押し殺す。

「あ、重いでしょう?片方持ちますよ。台所に置けばいいですか?」
「気が利くなぁ!やっぱ女の子のいる暮らしって良いね!」

お兄さんは人の良さそうな笑顔を浮かべながらmerciと一言言いました。そして手渡された荷物は彼が持つ方よりも小さかった。(紳士だ)さり気ない優しさに感動しつつ、なんだかこの人とは上手くやっていけそうな気がすると思った。野菜を冷蔵庫に閉まったりする間にも会話は弾んだ。

「ふーん、今日から此処に住むんだ。荷物整理とか大変でしょ」
「…はっ!」
「え、もしかして忘れてたの?そんなにお兄さんと喋るの楽しかった?」

によによと笑うお兄さん(まだ名前を聞いていなかった)は、ぐっと腕まくりをするとどこからか取り出した黒いエプロンを手慣れた手つきで纏った。その姿がまた様になっていて綺麗な人は本当に得だよなぁ、なんて思った。

「よし!今日は歓迎の印にお兄さんが腕を振るって夕飯作っちゃうよ!
 お嬢さん、年齢は?」
「二十歳です」
「じゃあお酒飲めるね、引っ越し記念の祝杯!夕飯出来たら呼びに行くよ」

だから、それまで荷ほどきしてて。とお兄さんは言った。後から引っ越してきた私が夕飯を作って頂くなんて大変申し訳ないことだと思ったけれど台所に立つ彼がなんだか活き活きしてるように見えたので(料理好きなんだろうな)お礼を言ってから部屋に戻った。人の善意は無駄にしてはいけない。

「すご…!!これ全部手作りですか…!?」
「もちろん。見た目だけじゃなくて味も良いよ。さ、どうぞ」

目の前の机に並べられたのは店に出しても何ら違和感の無い程の料理の数々だった。盛り付けまで美しい。この人は料理人か何かの類なんでしょうか。物凄く気になったけど空腹と料理の誘惑には勝てず大人しく食卓に着いた。お兄さんはご丁寧に椅子まで引いてくれて、慣れない事で少し気恥ずかしかった。

「Merci beaucoup.」
「Il n'y a pas de quoi!…びっくりした、フランス語上手だね」

お世辞かもしれないとは思ったけれど、褒められれば正直に嬉しいと感じるものだ。美味しい料理とお酒を楽しみながら、大学で第二外国語としてフランス語を勉強してる事やお互いの職業の事(彼はスタイリストだそうだ)(なんだそれ凄く格好いいじゃないか)そしてすごく遅くなったけど名前も教えて貰った。

「俺はフランシス・ボヌフォワ。お嬢さんのお名前は?」
です。改めて宜しくお願いします」

のんびりと時間は過ぎて(ちゃんと片づけは手伝ったのですよ!)そろそろ寝ようかと、ソファに座ってワインを飲むフランシスさんにおやすみの挨拶をしようとしたら「ちょっとこっちおいで」と彼は自分の隣をとんとんと叩きました。私が素直にそこへ座るとフランシスさんはあろうことかワイングラスをローテーブルへ置いて、いきなり抱きついてきたのだ!あまりに予想外だった為、ろくに抵抗も出来ず目を白黒させている私の頬に何度かキスをした。

「は!?い、いきなり何するんですか酔ってるんですか殴ってもいいですか!?」
「ごめんごめん、酔ってないよ。そして殴るのは勘弁してね!」

歓迎の挨拶だよ。彼は笑って言いました。まだちゃんと挨拶してなかったから、と。なるほど、と納得する自分とそれが受け入れられないもう一人の自分がいたけれど、フランシスさんがそれ以上何もしてこなかったので今回は許そうと思う。

「Bonne nuit!」「…Bonne nuit.」


後日、一人でテレビを見ていたら昼時のワイドショーの奥さん改造計画的なコーナーに普通にフランシスさんが出てて思わず盛大にお茶を吹き出した。