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ちゃんが部屋を出て行ってから、もう直ぐ一時間が経つ。静けさの中、秒針は早く彼女を迎えに行けと催促するかのように響いてやたらに煩く思えた。でも、そんなのどうだっていいんだ。事実俺は彼女を追い掛けもせず、只床の上でごろごろと寝ている。本当はすぐにでもその手を掴んで謝りたかったけれどそうはしなかった。それは自分の詰まらない片意地のせい。今回は絶対に譲らないからね。大体にして何時もそう。俺が先に折れて謝ってしまう。そうすればちゃんは決まってちょっと困ったように「私も悪かったよ」と言って優しく笑ってくれるんだ。俺はその表情が好きで喧嘩の内容なんて忘れてしまう。大体喧嘩の理由なんか下らない事ばかりだ。(…それなのに)腹でふつふつと煮えたぎっていた何かが急に大人しくなってきた。それと同時に押し寄せて来たのは言いようの無い不安で。くっそー俺は怒ってたんだぞ何をこんなに悩まないといけないんだ!無理矢理自分を奮い立たそうとするも結局惨めになるだけと解るのに時間は用さなかった。 こうなれば自棄だ。そうだな、彼女に呪いを掛けるなら…猫になってしまえばいい。もう猫になっちゃえよちゃん!そしたら俺と一緒に何も難しい事とか考えずに幸せに暮らしていけるよ。日向ぼっことかしてさ、好きなときに寝て好きなときに食べてさ。本能に従って色々やっちゃおうよ。あぁ最高だな、それ。 「あはは幻聴かー相当キてるな俺」 「にゃーあ」 「…マジかよ」 背後から聞こえた鳴き声に恐る恐る振り向くと、そこには可愛らしいにゃんこがちょこんと座っていた。大きくて少し垂れた色素の薄い目が…似てる。なんか顔立ちも若干似て…いやいやまさか。 「にゃー」 半分おふざけ半分本気で呼んだ彼女の名前に、猫ちゃんは返事をしたみたいに一声鳴いて俺に近付いてきた。ぺろりと右手を嘗めて何時もの無邪気な顔で俺を見上げる。体勢を直して胡座をかいて座れば、すっぽりと収まった先は足の上。あったかいなー。頭を撫でれば「にゃお」と一言、ゴロゴロと喉を鳴らして満足そうに目を細めた。幸せだ。幸せだけど、やっぱ違う。 「にゃ」 「ごめん。本当悪かった」 「にゃあ」 「だから早く戻ってよ…」 謝ったって仕方が無いって事くらい薄々感づいてた。でもそれ以外何をすればいいのかなんて分かるわけないだろ。 ちゃんは一際大きく鳴くと、すっと音も無く膝の上から下りて玄関に消えて行った。終わったわマジで。猫になった彼女にすら愛想尽かされたよ俺。 「どうしよう俺どうしたら良いんだよこれから…。…ん!?」 「そんなに思い積める位なら直ぐに謝ってよね」 何時もの少し困ったような優しい笑顔を浮かべて人間の姿をしたちゃんが帰ってきた。腕の中にさっきの猫を抱いて。 (ちゃん、この子は…?)(近所の飼い猫さん。たまに家の中入ってくるのよね) (なるほどー…) |